「相手軸の立ち方」①自分がして欲しい事を相手にする
昨日までは、相手の立場(相手軸)に立つことの大切さと難しさについてお話ししました。
今日からは、いよいよ、ではどうやったらうまく「相手の立場(相手軸)に立つ」
ことが出来る様になるのか?についてお話しします。
「相手の立場に立って考える」と言うことは昔からよく言われていますので、
「どうしたら相手に喜ばれるだろう?」
「相手がして欲しい事は何なのだろう?」
「相手がいやがることはどう言うことだろう?」
と考えることは良くあると思います。
でも、そうは簡単に相手のことは解りませんし、相手によっても「要望」「希望」「好み」は全然違います。
なので、第一段階は、まず
「自分がして欲しい事を相手にする」
「自分がして欲しくないことは相手にはしない」
と言う風に「自分」を基準にして考えるのです。
例えば、以前こんな嬉しいことがありました。
私がある眼科医院の待合室で順番を待っていた時でした。
私は、風邪ではありませんでしたが、乾燥した病院の空気に触れ「ゴホンゴホン」と咳をしたのです。
すると、隣に座っていたおばちゃんから
「あんたこれ舐め。これな、レンコンのど飴なんや。喉にええんやで~」
「この病院な、乾燥してるから、いつもこの飴持って来るんや。」
このおばちゃん、典型的な大阪のおばちゃんです。
大阪のおばちゃんは、必ず飴を持っていて、それをすぐに人にあげると言いますが、まさしくそう言うシーンでした。
私はそのおばちゃんに「ありがとうございます。親切なんですね。」と言いました。
「何言ってんの。喜んでくれたら嬉しいんや(笑)」
彼女は、自分が嬉しいことは、どんどん人にもしてあげるそうです。
相手が喜んでくれたらそれが嬉しい。
これが、「相手軸に立つ」の第一段階です。
彼女のように、「自分がして欲しい事を相手にする」
これは、「相手の対場に立つ」為に最初に判断する基本形です。
これは、自分基準ですから誰でも判断が出来ます。
しかし、私は、彼女の親切な行為に感動したのですが、中にはそうでもない人がいます。
私に飴を下さったそのおばちゃんは、反対側にいた、小さな女の子にも同じ飴を上げたのですが、
女の子のお母さんは、感謝して受け取りましたが、その飴を女の子には食べさせませんでした。
理由は分かりませんが、おばちゃんと女の子のお母さんの間には、ぎくしゃくした微妙な空気が流れました。
自分が嬉しいからと言って、相手が嬉しいとは限らない。
ちょっと悲しいけれど、あくまで嬉しいのは自分ですから、これは、相手の立場に立ったものの、相手には喜んでもらえなかったケースです。
せっかく相手の立場に立ったのに、とても残念です。
相手の立場に立つ事の難しさは、この「自分が嬉しい」「自分ならば」に代表される、自分軸との葛藤だと思います。
彼女は、相手の為にやっているはずが、実は、自分の為にやっていた、のかも知れません。
なぜそうなるのでしょうか?
それは、判断基準が自分だからです。
自分基準で相手に接するのは、相手も自分と同じであることを前提としているからです。
自分を判断基準にするのは、あくまでも「第一段階」「基本中の基本」です。
基本の判断基準ではありますが、目標はもっと先にあります。
本気で相手の為に「相手の立場に立つ」ならば、相手の事をきちんと知らねばなりません。
その為には、「相手がして欲しい事を相手にする」様にしなければなりません。
それには、相手に対する強い関心が必要になります。
それについては、また明日。
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- author: PEOPLE&PLACE(ピープル&プレイス)
- 2012年11月14日
- 08:13
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